もうあの日から丸8年が過ぎようとしています。時のたつのは何と早いことか。

立花先生と

 40年近い仕事人生が終わった後をどう生きていこうか?半年ほど前から考えあぐねていた私は、ずっと心の中にしまい込んでいた“もう一度大学で学び直したい”という思いを実現しようと、あちこちの大学の資料を集め、内容を比較検討していました。
 ある日、残業でかなり遅い時間に帰宅し何気なくテレビをつけると、「突然立教大学に通い始め、楽しく生き生きと学ぶ母親の姿を、その息子が密着取材した」という映像が流れていました。そのお母様が通っていたのが、立教セカンドステージ大学でした。この映像になぜか心を惹かれ、私は翌日すぐに資料をもらうために立教大学を訪ねました。この時この映像を見ていなかったら、RSSCを選ばなかったかもしれません。募集要項を熟読し、ほとんど即決で応募を決めたのでした。なぜこんなに惹かれたのかは、実際に大学に通い始めてわかるのですが…。私のその選択は間違ってはいませんでした。
 

4期生会(軽井沢セゾン現代美術館)

 無事試験に合格し、入学式を心待ちにしていた時、それは突然やって来ました。
 2011年3月11日金曜日午後2時47分、東日本大震災です。
 私はその時、「みなとみらい」にある職場の会議室で会議中でした。3月31日で仕事をやめる予定だったので、新年度に向けての打ち合わせ中だったのです。
 その時の衝撃は今でも忘れられません。咄嗟に机の脇にかけてあったヘルメットをかぶり、隣室で講座を受講している50人近くの人々を誘導しながら、急いでビルの外へ出ました。周辺の高層ビルが、まだゆらりゆらりと揺れています。目の前のその光景と恐怖は、今でも生々しく蘇ります。二時間ほどでビル内の安全確認が終わり事務室に戻ると、信じられないほどの大きな黒い津波が、家々や自動車を押し流していく映像がテレビから流れていました。すぐに仙台に住む姉一家のことを思いましたが、とにかく何をしても連絡がとれません。姉の家は幸運にも津波の被害は免れ、翌朝には一家全員の無事を確認することが出来ました。

立教特製うちわ

 この震災のために、楽しみにしていたRSSCの入学式は中止となり、授業開始も1カ月後の5月6日を待たねばなりませんでした。仕事の方は、震災対応をしなければならないために1ヶ月延長されることになり、4月末まで働くことになりました。
 5月に入り、いよいよ大学生活が始まります。心のどこかで被災地のことを気にかけながらも、心は踊ります。その年の夏は、福島第1、第3原発の爆発などにより、日本中が節電を呼びかけており、学生たちには立教特製の「うちわ」が配布されました。なるべく「うちわ」を使用して節電に努めたことを懐かしく思い出します。
 

庄司ゼミ韓国旅行(慰安婦像前で)

 一方で、大学生活はとても刺激的で楽しいものでした。何よりも仕事の世界では味わえなかったさまざまな才能豊かな人々との出会いは、私に新鮮な刺激を与えてくれました。それは入学生の一人一人が多くの選択肢の中からRSSCを選び、いろいろなものを求めて入学してきたという事実が大きいと思います。
 授業では、特に立花隆先生の2時間連続の授業「先端科学・技術論」や「昭和史の検証」が印象に残っています。ホワイトボードへの先生独特の読みにくい字の板書や、パワーポイントではなく、昔ながらのプロジェクターを使った沢山の資料による授業が意外と新鮮で、毎回夢中で授業に耳を傾けたのを覚えています。専攻科での「現代社会論」は、現代のさまざまな社会の事象を分かりやすく説き、自分のこれまでの不勉強を改めて自覚することとなりました。

坪野谷ゼミ修了式

 また、専攻科での上野千鶴子先生の「ジェンダー論の基礎」は、歯に衣着せぬ話が、男性諸氏の批判と相まって毎週楽しく学ぶことが出来ました。今ではなかなか味わえないお二人の授業でした。更に、全カリで選択した「歴史と現代」ではパレスチナ問題を学び、大きな感動と刺激を受け、それまでの不勉強を取り戻すべく、卒業後もずっと関連のテーマを学び続けています。

 本科「庄司ゼミ」メンバーでの韓国旅行は、現地大学の学生との意見交換会や、慰安婦問題を学びながらの旅で、実り多い楽しい旅でした。専攻科坪野谷ゼミでは、シャンソンを学びコンサートでその成果を発表する人、絵画や書道の公募展で大きな賞をとった人、居合道で全国優勝を成し遂げた人、キルトの2メートル以上の大作を何点も作りキルト展を開催する人等々、多彩な才能を持つ人がそろい楽しませてもらっています。でも本当に一番楽しかったのは、授業の後の飲み会だったことを記しておかねばなりませんね。

フィリピンに本を送る会表彰式

 RSSCでの多くの人との出会いの中で、「フィリピンに本をおくる会」を主宰する金子さんとの出会いは、私にボランティア活動の在り方について、いろいろなことを考えるきっかけを与えてくださいました。
 金子さんは、小学校教員を退職後フィリピンの奥地を訪問した時、山岳住民の学校にも行けず、字も読めない子どもたちの姿に大きなショックを受けたと言います。それ以降、学校を建設したり、図書館を3か所に建て、絵本等を送る活動を20年以上にわたり続け、その数はゆうに6000冊を超えています。
 その地道な活動に心を打たれ、私は4期生で賛同する仲間を集め「応援団」を立ち上げました。絵本を収集し、その日本語の絵本にタガログ語に翻訳したものを貼る作業や、生活物資、衣類、文房具などを集め本と一緒に送付する作業などを行ってきました。昨年は、金子さんの教え子さんたちの協力を得て、会主催のチャリティコンサートを開催、収益を会の資金に加えました。金子さんは地道なその活動が認められ、2017年には「社団法人 日本子どもの本研究会」の実践研究賞大賞を受賞しています。

 このRSSCの2年間で出会った友人たちとの関係は、まさに奇跡であり、これからの人生の大きな糧になってくれると思っています。
 一昨年、4期生会では本科修了後5年を記念し、役員さん方の努力で記念文集「絆」を作成しました。その中で多くの方が、この出会いをずっと大切にしていきたいと書いています。
 これまでの70年の長き人生を振り返ってみると、そこには常に素晴らしい“友”の存在があります。自分一人では抱えきれないものでも、必ず解決のヒントと勇気を与えてくれるのは友人の存在でした。今後もいつまでも大切に、この「絆」を育てていきたいと心から思っています。

四期生 大戸澄子