今から55年前、私は2浪して北海道大学に入り、本学一般教養課程に通っていました。いえ、すみません。嘘をつきました。正直言うと、通っていたのは北大軽音楽部の部室と、ホテルやクラブで開かれるダンパの演奏ステージの上でした。
 大学2年生になり、函館市にある水産学部に移って、一番通っていたのは当時函館にあったキャバレー「モンクール」でした。お客さんとして通っていたのではありません。アルバイトでボーイとバンドの仕事をしていたのです。本当です。
 大学4年間では、到底単位が足りなかったのですが、沢山の先生方に土下座して頼み込み、無事4年で卒業させて頂きました。それから、50年間、色々なことがありましたが、勉強のことなど考えもせず、ただがむしゃらに働いてきました。大学の勉強で、社会に出ても役に立ったことと言えば、えーと、土下座の仕方ですかね。
 

オリ・パラ・レガシー研究会メンバーと、パラ水泳を観戦)

 ところが、4年前、71才になった時、思いもかけず膀胱癌と診断されたのです。その時、この歳までまったく考えもしなかったことが頭をよぎりました。…残りの人生、このままでよいのだろうか? (ここ、笑う所じゃありませんよ。当人はまじめです。ちなみに癌はその後完治しました。)
 自分の興した会社も息子が何とか回してくれているし、私は、残っている時間を思い切り楽しく生きたい、と感じたのです。その時、心に浮かんだのが、若い頃、大学でほとんど勉強をしなかったし、今、熱中できる教科とかないかな、という思いでした。その後、シニア社会人向けの再チャレンジ学習の場として、立教大学が、「立教セカンドステージ大学」というコースを開講していることを知り、受験してみることにしました。今回は一発合格でした。後できくと、入学試験に落ちた人はほとんどいなかったそうですが。
 このシニア大学は、50歳以上が対象者で、立教大学池袋キャンパスで、必修科目・選択科目・ゼミ・課外活動を履修し、本科1年間で修了論文や自分史を1本きっちりと書き上げるというカリキュラムです。更に専攻科(2年生)に進学すると、もう1年間勉強した上、追加で更に長い修了論文を書かなければなりません。
 ともかく、晴れて立教セカンドステージ大学受講生となった私は、集中して学業に努めたいと感じていました。本音を言えば、ボケ防止のつもりです。家内も家族も、私のへんてこな希望を理解してくれて、応援してくれています。察するに、飲む・打つ・買うに集中されるとか、うちでゴロゴロされるより、毎日大学に通わせていた方がましだと思ったのでしょう。
 私はこれまで、立教で、社会学、音楽研究、ジャーナリズム論、栄養学、心理学、老年学、終活、美術論など、種々雑多なリベラル・アーツと呼ばれる教養講座を受講し、ゼミで勉強し、夏季合宿をし、修了論文を書いてきました。勉強については、それほど、頑張った、とか、大変だったという思いは無く、大学って、こんなに楽しかったんだ、という気持ちです。

池袋キャンパス 鈴懸の径と歌碑

 また、ゼミや、授業、サークル活動を通じて、素晴らしい同年代の友人が沢山できました。この歳で、腹蔵なく語り合える友人が新しくできるなんて思いもよらないことです。大学の社会貢献活動サークル「オリンピック・パラリンピック・レガシー研究会」では、代表を務めています。よいブレーンと仲の良いメンバーに恵まれ、楽しく活動しています。この研究会活動は、東京2020大会まで続けていくつもりです。
 2019年3月に専攻科を卒業予定ですが、その後、私はもう1年聴講生としてRSSCに通い、更にキャンパスライフを続けていきたい、と考えています。この、今ある自分こそ、青春真っ只中という気持ちです。(ここも笑う所ではありませんよ)
 立教は、私の父の母校でもあります。それも多生の縁、ということなのかもしれません。北大はポプラ並木が有名ですが、立教には「鈴懸の径」と名付けられたプラタナスの並木道があり、立教卒業生の灰田勝彦の歌碑が建てられています。
 皆様も、セカンドライフで迷ったら生涯学習という選択肢をぜひ思い出してみてください。

十期生 横堀一男